どうもです。
すっかり冬の空になりまして、澄んだ空気とか夕日だの朝日などを見ながらおでかけしたみが溜まる季節です。いかがお過ごしでしょうか。
かくいう私も、なんだストレスだフラストレーションだどっか行くんだと11月の末に紅葉を撮るという目的でわざわざ高尾山まで足を運んでまいりました。
いつもの出発地となった大阪駅より直線距離で358km程度とGoogle Map先生は仰っておりますが、寄り道程度にフラっと行けるのが現代のヤバいところ。
椅子に座って2時間と30分程度で新横浜までたどり着けるんですから新幹線ってすごいですよね。ついでにそんなものを10分間隔で動かすあたりが最高にAMAZINGって感じです。富山行きてぇ
金曜日の夕方に発ち、八王子に宿を取り土曜の朝から動き始めるというよくわからんどころか気でも狂ったんじゃないのかと言われそうな行程を組んだわけですが、つらかったのは早く起きることより美味しい無料の焼き立てパンが300円程度で錬成したコンビニのパンに化けてしまったことでしょうか。こればっかりは仕方のないことです。
日が昇る前だと言われなければただの夜の景色ですね。この時間に日が登り始めていた時期が少し前のように感じます。いや実際少し前ですが。
種別を変える各駅停車で高幡不動まで出て写真を撮り回ります。今回は前回のように動画を作る目的だったわけでもないので好きなだけ写真を撮れました。いや機材を増やせばどっちも撮れるわけですが、どうしても本体より旅費だのレンズがどうのと産んだはずの諭吉が次々と死んでいくもんですからなかなか踏み切れません。5000兆円とは言わないから空から100万ぐらい降ってきてほしい…。
せっかくの美味しい焼き立てパンを蹴ってでも撮りたかったのはSなんとかさんの動画や写真を見てずっと気になっていた多摩川の朝焼けでございます。
ほんとは富士山と~~~と思ってはみたものの、残念なことに雲が隠してどこにあるのかすらわかりませんでした。残念。
また再履修物が増えてしまったなぁとか思いながら、自分にも時間が無いことを思い出して死にたくなっているのがこれを書いている自分です。Now。今。現在進行形。
なんだカメラ持った人たちが増えたなぁと思ったらこの顔の奴生きてたんですね。死んだかと思ってました。
正直スカート無い方がかっこいいのではとか思うんですがいろいろあるんでしょうね。諦めます。
や、本音は10-300の8両が来ると思っていたので正直お前じゃないんじゃーーーいって感じです。今日じゃなくてよかったんやで……。
降りる方は中河原で撮りました。この柵が邪魔だっていう人もいますが10-000の写真みたいにセルフクロススクリーンみたいになるっぽいのでありじゃないかなって。もうちょっと早めに気付けばよかったです。
新しいのの傍で運び出されるお古さん。時代の流れを感じます。そろそろ地元もヤバいかな…。
相模原線の乗り潰しもですが、目的はこっちでした。床下が綺麗なときに撮れてよかったなぁとかピント合ってよかったなぁとか晴れてよかったなぁとかいろいろありますが、とりあえず全部まとめて5000系カッコいい!!!!ということで片づけておきます。人によって赤色の出し方が違うので難儀しますね。最近こんな色出しづらい車両多い…多くない?
あとは地下鉄の方に行ってみたりなど。フリー切符は京王線内だけなので新宿駅から新線新宿まであるこうとしたんですが無理でした。迷いました。大人しく笹塚まで戻って新線新宿まで行きました。なんなんですかあれ。サイン見てもたどり着けないのは天性の才能なのかなんなのか全くです。土地勘ない所を歩くのは楽しいですがつらいですね、主に精神的な意味で。
夜はなんとか.Yなんとかしとこんにちはして高幡不動尊のライトアップを撮りました。SIGMAのContemporary 17-70mm F2.8-F4.0の出番だ!と思ってましたが思ってた以上に広角がつらかったですね。まぁマウントアタプタつけてマイクロフォーサーズで使っているので当たり前っちゃ当たり前ですが、広角やら魚眼やらも欲しくなってしまいました。
しっかしF8.0まで絞るとすごい描写力だなぁと。これヨドバシで4万切ってるんですよ。サードパーティーとはいえすごいなぁ。光条はあんまりって感じですが、普通に使ってる分にはコスパ最強って感じでいいんじゃないでしょうか。F2.8通しだったらよかったのにとか思いますが4倍ちょいでこれなら全然です。Artだとどんなもんなんでしょうか。新しいレンズほちい……。
*柵の上にカメラを置いて撮影しています
こちらが本当の夜の高幡不動駅です。
ついでに顧客が本当に必要だった光条がこちらです。流石40-150mm F2.8PRO、OLYMPUS迫真のPROレンズって感じですね。いつからレンズについて語る記事になったんだ。
光条一つにしろレンズそれぞれいろいろあってあぁこれがレンズ沼…と身に染みた次第であります。
帰りに目を付けていた京王片倉で流し撮りしました。あんまり流れてる感ないですね。思い切ってピンクだけ切りだしたりしてみました。
いや、実は設定ミスってあまりに暗かった上手前にホーム映っちゃってどうしようか悩んだんですよね。明るくしてもいいけどザラくなる、かといって誤魔化そうにも白黒じゃ面白くない。そこで思い付いたのがピンクだけ抜くパートカラーってやつです。OLYMPUS、カメラの中でそんな加工ができるなんて流石って思いましたがもともとこういう使い方する人の方が少ないですね。どっか行ってもE-M10 MarkII使ってる人滅多に見ませんし、それどころか40-150 F2.8PRO使ってる人も~~ってそもそもOLYMPUS使ってる人自体希少種ですね。これは失礼しました。
▽必殺『Photoshopでいらないものを全部消す』!
▽相手は死ぬ。
おわり
おわりなのにここまでの話題とも写真とも全く関係ない話をします。
やっぱり若干関係あるかもしれません。どっちやねん。
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。
船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえれ老をむかうる者は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいずれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、
やや年も暮、春立つ霞の空に白河の関こえんと、
そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにはひて、取るものも手に付かず。
松尾芭蕉という人の書いた、一度は古文か国語の授業で読んだことのある一文ではないでしょうか。
個人的な話になりますが、古文や漢文と言った分野はあまり好きではなく、いい成績だったというわけでもないんですが、最近になって調べてるうちに『あ~~~わかる~~~』といった"共感の意"が出てくるようになりまして。
どうせなので現代語訳も。
月日は永遠に終わることのない旅人のようなものであって、来ては去り、去っては新しくやってくる年もまた旅人である。船頭として船の上で生涯を過ごす人や、馬引として年をとっていく人にとっては毎日が旅であって旅を住処としているのだ。昔の人も、多くの人が旅をしながら亡くなっている。
私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われて行くように流浪の旅をしたいという気持ちがおさまらずに、最近は海辺をさすらってはいた。去年の秋に川のほとりの古びた家に戻って、(留守にしておいた間にできていた)蜘蛛の巣をはらい腰を落ち着けた。年もだんだんとくれてきて春になったが、霞だちたる空を見ると、「今度は白河の関を超えたい」と、そぞろの神が私の心に取り憑いてそわそわさせ、しかも道祖神が私を招いているような気がした。
おくのほそ道 冒頭『漂白の思い(漂泊の思ひ)』現代語訳と解説 / 古文 by 春樹 |マナペディア| より
要は、家に帰ったら次どこに行くか考えて、この場合だと白河の関を超えたいと考えてしまったが最後、そぞろ神が憑いてそわそわさせ、道祖神にまで招かれてしまって行かざるおえない、と言った感じでしょうか。
いつぞに似たようなことを書いたような気がします。この時はおくのほそ道なんて気にもしてませんでした。やっぱり誰しも考えた先には同じような答えが待っているんだなぁと。
今のご時世、いざ飛び出てしまおうと思い立てば新幹線に乗れば北海道から九州まで、飛行機なら日本全国どころか世界中に行けてしまう時代です。
徒歩しかなかった当時を旅した彼は、今の便利なこの時代だとどんな旅をするんでしょうか。
・・・なんて、私なんかが考えるのは烏滸がましいにも程があるかもしれませんね。
あと日曜日の分が残っているのでまた近いうちに更新できればと思います。
では