どうもです。
2月22日 たしか金曜日。
朝、目が覚めたのは9時ごろ。
寝ぼけた目をこすっていると、声が聞こえました。
「おはようございます、やっと起きられましたか」
ふと時計を見ると9時ぐらいを指しています。
6時に起きて朝の兼六園へ行こうと言ったのに、既に3時間以上遅れて起きたことに対する謝罪をすると、「大丈夫です、私も今起きたところなので」と笑って答えてくれました。
既にその綺麗な髪を整え、準備万端な彼女をよそに急いで寝癖を直し、支度と片付けをして部屋を出て、エレベーターで朝食はどうしようなんて話をしながらロビーへ向かい、チェックアウト。
キャリーバッグを転がしながら空いている駅のコインロッカーを探し荷物を入れたら3時間遅れの金沢デートがスタート…
しません。
2/22 Day5 Kanazawa→Osaka
- 2/22 Day5 Kanazawa→Osaka
- AM10:40 兼六園
- PM0:57 野町駅
- PM1:51 近江町市場
- PM2:16 ひがし茶屋街
- PM3:54 にし茶屋街
- PM4:37 ひがし茶屋街
- PM5:23 金沢城公園
- PM7:18 近江町市場
- PM7:25 香林坊
- PM8:13 金沢駅
- PM8:41 金沢駅2番乗り場
- PM11:30 大阪駅
- おわり
AM10:40 兼六園
改めましてどうもです。
叶いもしない夢を見ていたら3時間ほど寝過ごしまして(これはガチ)、朝の雰囲気で最高にいい感じの兼六園の絵をお届けするはずが朝の雰囲気が少し残る兼六園の絵になってしまいました。
今回のこの回りくど折り返さない旅の目的でもあった『白石紬さんコミュ絵聖地巡礼』を果たしていくべく各地を回っていきます。え?初耳?
僕も今はじめて言いました。
残念ながら緑がいい感じではなかったので少し寂しくはありますが、おおむね一致していて画面の中に首を突っ込んだ時のようでした。突っ込んだことないけど。ウソです何回か突っ込もうとしてモニター割りました。(これはガチ)(今も割れてる)
日本海側に位置する石川県は、冬になると結構雪が降るらしく、雪から木々を守るための傘が設置されていました。これ一応2月ですしね
咲き初めの梅の花、緑の絨毯に差し込む光と影のコントラスト、水のせせらぎなど、どこをどう切り取っても絵になる風景はこの場所だけで1日潰せてしまいそうなほどでした。
観光地になっている、と言っても京都の某や某や某ほど人が多いわけではなく、ちょっとわき道に入ったりすると自分以外に人がいなかったりいても2人3人だったりと落ち着いて楽しむことができ、心が癒されました。聞こえる言語日本語でしたし。そこかよ
人がいないのはいいですけど飲食店なんかが大丈夫かは心配になります。多分大丈夫でしょうけど。多分。たぶん…。
PM0:57 野町駅
金沢駅の駅そばで昼飯兼朝飯を食べ、バスのフリー乗車券を眺めていたら北陸鉄道の文字があったのでなんとなく行ってみることに。
浅野川線は金沢駅にも乗り入れていますが石川線は始発・終点共に街の中、JRとの接続駅も西金沢という微妙な場所で存在感が薄いイメージ。
THE・地方鉄道と言った趣を感じさせてくれる駅ですね。2番線に架線が無いけど。
謎を解き明かすべく反対側へ回ってみます。
カメってかわいいよね
遮断棒も無ければちゃんと整備されてもいない踏切、『昔ここに分岐器あったんすよー』と言わんばかりのレールにぶった切られ放置された線路、2線分の架線柱。
さっと調べただけではいつ頃休止されたのかわからなかったんですが、定期的に清掃されているのかそんなに目立った"廃止されてる感"は感じませんでした。線路ぶった切られてるけど。
北陸鉄道、調べれば調べるほど廃線が出てきてやべぇ沼ですね。あーーー!!!困ります!!!!事業者様!!!!!!!これ以上こういった沼をおつくりにならないでください!!!!!!!事業者様!!!
レールに年代書かれてないかなぁとかチラッと見てみたりもしましたが特に見当たらず。あからさまな直線の部分を撮ってみたりしていたら家々をかき分けて電車がやってきました。
『普通』と幕にあるのは昔準急や快速が走っていた名残でしょうか。今では普通しか走っていないそうですが。東急のやつあちこちにいますけどしっかりその地に馴染んでいてびっくりですね。
鳥鉄
2両の電車が狭そうにホームへ入ります。降りてきた客は数名。乗っていく客も数名。
地方私鉄を感じ大変よろしいのですが、経営大丈夫なんかなとか心配です。心配ばっかしてね?
2番線は3両か4両ぐらい入りそうな感じですね。架線が無くなり線路も分断されてしまってますけど。
『2』の文字と錆びたレールがそこが駅のホームであることを叫んでいるようで…。
誰もこんな道を進んだところに駅があるなんて言われても信じませんよね。
僕も信じませんでした。ちなみに3枚目がバス停のある大きい通りからの写真です。駅見えねぇし。
PM1:51 近江町市場
近江町市場で魚美味そうだなぁとかチラっと見るだけ見たら…
PM2:16 ひがし茶屋街
大本命。
心の綺麗な人には白い髪が綺麗な石川生まれの美少女が見えているはず。
人は多かったですが多すぎるというほどでもなく。
ただ一人にはキツい空間でした。
どうにかそれっぽくならないかと構図を変えてみたりしましたが「完全に一致」とはいきませんでした。絵にするときある程度弄ってるでしょうし仕方ないんでしょうが、こうやって並べてみると絵のクオリティの高さにビビりますね。
PM3:54 にし茶屋街
ひがし茶屋街からにし茶屋街へ。西の方は全然人がいなくてめっちゃ静かでいい所でした。東の方が多すぎるんかな?
「金沢来たし任意のスイーツでも食うか!w」つって殴り込んだ店が女性客しかおらず(なんやこいつ…)みたいな目で見られまくってしんどかったです。
バス停の液晶がかわいらしいですね
PM4:37 ひがし茶屋街
東に帰ってきたらなんか飛んでました。鳶かな?
時間に余裕がありまくりなのでのんびり金箔の蔵のある店で目を付けていたお土産を買い込みます。
いやふら~っと歩いてて見つけたときのインパクトが忘れられず場所どこだったっけってめっちゃうろつきまくりましたが。
アタリつけたんなら場所ぐらい控えろ。これ教訓な
PM5:23 金沢城公園
遮るものが何もない頭上に、絵に描いたような空が広がっています。
写真を撮る手が止まり、しばらく茫然と眺めてしまいました。
陽が沈み、明るさだけが残った空。
もう少し後に来たら桜が咲いていたら綺麗だったろうな、なんて考えてしまいます。
※今日は2/22です。2/22です。いいですね?
石垣の置き方と言うのか、種類が違うのが面白いですね
PM7:18 近江町市場
夜の近江町市場。こちらも一度訪れてみたかった場所・時間です。
賑やかで明るい雰囲気の昼間とは一転、シャッターが閉まり人もおらず暗い雰囲気。
ポツポツと営業中のお店もありましたが、それはまるで取り残されているようで…。
癖で明るく撮ろうとしがちですが、暗く撮ったほうが雰囲気出たかな、とか。
実際は3枚目ぐらいの暗さでした。
PM7:25 香林坊
金沢の夜の街担当。いわゆる繁華街。なのにしっかりレトロな建物を用意してる。
この街を歩いていて感じたのは、『古』と『新』が上手く混在してるなぁという点でした。
諄くない程度に古い感じがする。でもちゃんと道路とか必要なところは整備されてて新しい。にし茶屋街なんて特にそうで、古い建物があったと思ったら周りは普通の家だったり、『古いもの』には必ず『新しいもの』の時期があるように。
晩飯どうしようかなー電車ん中でなんか食うかなーとか考えながら金沢駅行きのバスを待ちます。
PM8:13 金沢駅
よくわかんないボロいやつを撮りながら乗車するサンダーバードを待ちます。
っていうかまだ生きてたんですねこのボロいの。てっきり七尾線以外は全滅したものかと思ってました。
PM8:41 金沢駅2番乗り場
サンダーバード48号。京都・大阪方面の最終列車。
なんやかんやで北陸へ行ったときの帰りはいつもこれな気がします。
買い込んだおにぎりと唐揚げを広げ、流れる景色を眺めながら、これが止まったら旅が終わってしまうんだなぁとか。ネガティブな感想な気もしますが、終わりは始まりとも言いますし、この旅が終わったら何かが始まるはず。何が始まるのかはわかりませんが、『折り返さない旅』を終えることが自分の中で何か一つの区切りになればいいなぁなんて。
PM11:30 大阪駅
考えてたら気付いたら大阪でした。多分半分ぐらい意識飛んでた。
意識飛んでただけなので寝てません。
おわり
おわりです。
随分と急ぎ気味になってしまいましたが、こいつが急いで記事書いてるときってだいたい翌日からどっか行く時なんですよね。余裕を持て。
さて、2月にやった旅の記事をようやく書き終えましたが、こいついっつも書き終わるのに5ヵ月ぐらいかかってねぇか?
本来であれば、先程も書きましたがこの『折り返さない旅』を終えることが自分の中で何か一つの『区切り』になればいいなぁと思っておりました。
5ヵ月経ってみてこの旅が区切りになったかどうかと言われると正直微妙なところです。
「いい思い出になったか」「ずっと記憶に残る旅になったか」と言われれば、そりゃあ楽しかったですしいい思い出になりましたし記憶にも残りました。しかしこの旅で僕が見つけたかったのは、というか求めていたのは『区切りをつけること』でした。
隙自語になりますが、ついこの間から見事社会の波に揉まれる立場になり、この『折り返さない旅』が学生として最後の旅でした。この先こんな風に好きなタイミングでどこかへ行くことができるのか、そもそも社会の波に揉まれることへの不安が大変大きく、この旅をするという趣味にその『区切り』を求めていたのかもしれません。
その後ここで言う『区切り』は別の場所でつけることができましたが、この旅の時には付けることができず仕舞いでした。
これらが悪いことだったのか?と言われると、そうではない気がします。
僕が本当に求めていたのは、そんな『区切り』ではなく、この先生きる上で『折り返さない』ようにする。そういった『覚悟』をすることの方だったのかもしれません。
今まで渡ってきた橋を落とし、来た岸へ帰れないようにし、向こう岸に向かう。
思い出し振り返りはしても、もう一度そこへ帰りたいと思わないように。後悔をしないように。
来た道へは帰れない。この旅の切符のように。
できることは、精一杯楽しむこと。楽しむための手段を選ばないこと。
きっと本心で求めていたのは、こういったことへの気付きや再確認だったのかもしれません。
僕は旅が好きです。
だから今も旅をしているのです。
おしまい
では