どうもです。
投稿しました。してました。
懐かしいですね、北海道へ行って釧路で旅程全崩壊したの。
あれからもう2年が経ったらしいです。
時の流れっていうのは早いですね。前の3月前の3月と言っていたらもう前の3月ではなくなってしまいました。
あの時乗りに行けなかったまま、およそ1年が経った3月31日。
夕張支線は126年の歴史に幕を閉じることとなりました。
それから8か月後の11月、オタクと九州へ行くと言ってなぜか新千歳空港にいた際にオタクCarに便乗して夕張支線を回りました。
その時の写真や動画の後日談的なものができればなと思います。
新夕張駅
新夕張駅。
流石に運賃表などは更新済み。
みどりの窓口は7時25分~15時30分、休憩のため休止時間あり、日祝日休業なので実質無人駅みたいなもんですね。
200円の入場券を買って中に入ります。
改札入って一発目に目に入ってくるのは3・4番線立ち入り禁止の看板。
夕張支線が廃止されたことにより使用されなくなったんですね。特急は上下とも1・2番の使用らしいです。
影やコントラストの関係で浮かんで見える「ぬまのさわ」の文字、現在は石勝線のみなのに「のりかえ」の看板があったり、駅名標はシール張られていますが時刻表がそのままになっていたり、4番線に0kmポストが残っていたり…。
廃止されてまだ8か月とみるかもう8か月とみるかで分かれそうですが、あちこちに『痕跡』が残されていました。
まるで生きているのに死んでいるような雰囲気でした。自分以外がどこかへ消え去ったような。
ちゃんと列車は来るし、人もいるはずなのに。
ようこそ夕張へ
駅の外から望遠でパシャパシャと。
紅葉山駅の駅名標も設置されています。ポップ体?
新夕張駅から夕張川を渡り、一つ目の踏切だった7部通り踏切。
線路に切り込みが入り、道路と交差する部分からレールを撤去する作業の前準備がされていました。
沼ノ沢駅
沼ノ沢駅へやってきました。夕張支線沿いに道路が走っているのですぐに見つかります。
ここで駅名標が外された骨組みだけが残っていることを知り、撮り始めます。
今でこそネットなんかで調べれば何だったのかはすぐにわかるでしょうが、ネットもなければ『夕張支線』というものがあったことすら知らない人がいきなりここへ来たら""駅のような何か""ということはわかっても""なんという駅だったのか""はわからないでしょうね。
『駅』として存在する上で必ず必要な『駅名』を取り上げられてしまったこの場所は、果たして一体何なんでしょうか。
併設の洋食レストランはまだ営業しているようですが、訪れた際は空いている様子はなく。
道路を挟んだ向かいに絵に描いたような廃墟。隣にはガソスタがあります。
検索してみましたが、なんの建物だったのかは見つからず。そもそもいつからあるのかもわかりません。
南清水沢駅
南清水沢駅へやってきました。すぐ隣に踏切があるのでホーム側からも見ることができます。
この駅、建物をパッと見てお気付きになったでしょうか。
なんとびっくり、看板が設置されていた場所に駅名が焼け残っていました。
白背景に黒文字だったということ、駅がちょうど南北にあって西日が直撃だったというのがあるんでしょうか。まさかこんな形で残っているとは思いませんでした。
長い間、この看板がそこに掲げられていたことを教えてくれる、ここで駅が生きていた証のようなものなのかもしれません。
南清水沢駅すぐ横にある南校通り踏切。
この駅の近くにある夕張高校が以前は南高校と呼ばれていたようです。それに関係があるのかな?
朝夕は通学客で賑わっていたのでしょうか。
一つ隣の踏切にある立ち入り禁止の看板が、この線路に列車が走らないことを教えてくれます。
ここから新夕張方はすでに線路の撤去作業が開始されていました。
清水沢駅
清水沢駅。ここも駅名の部分が焼けて残っていました。
道案内の看板に書かれた「JR清水沢駅」の文字。しかし矢印の示す方向に駅はありません。あるのは「駅だったもの」。
入り口だったドアに1枚の写真が貼られていました。焼け残った跡と見比べると少し小さいので一つ前の駅名標でしょうか。随分と古い写真のようで、今は塞がれている入り口左の窓が開いています。
窓越しに中の写真を。
列車交換ができる駅だったようで、その時代は窓口担当の駅員と運転取扱の当務駅長が配置されていたようです。
2012年現在の写真で切符売り場の窓口が開いているものがあったので、交換がなくなってからも駅員はいたようです。
窓口があったことすらわからないレベルで何も残っていませんね。
ちかくに跨線橋があり、上から見ることができました。駅舎からホームまで異様に遠い。
YouTubeにこんな動画が残っていました。
ここを起点に走っていた三菱石炭鉱業 大夕張線。廃止が1987年なのでそのあたりかそれ以前に撮られた動画でしょうか。
サムネイル左のホームが国鉄(現在のJR)の夕張線で、最期まで使用されたのは一番左の線路、駅舎は右側の建物かな?
上記の駅と同じ場所とは思えませんね。跡形もなく消え、線路は撤去され、適当な盛土での接続。駅へアプローチする線路も曲がりくねっていて、そこに分岐器があったことを想わせます。
1枚目は草木に覆われていますが炭鉱関係の何かでしょうか。
駅名標を掲げていた骨組みも、近くこんな風に草木に覆われるのか、はたまた遺構すら残されないのか。
駅前のメインストーリート。
いたのは犬と散歩する人だけでした。
この駅で撮っていたあたりからポツポツと雨が降ってきました。
まるで涙のような雨でした。
鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅。
道路系の看板から駅名が消えるのもいつかわからないので撮っておきます。
この鹿ノ谷駅も全盛期には貨物線や夕張鉄道が野幌の方まで伸びていました。
広大な土地が栄えていたこと、そしてそれらが全て消えたことを教えてくれます。
この駅、『旅記 : 北の大地』で訪れる予定でした。最も、釧路で足止めされて叶わなかったのですが。
炭鉱が栄えていた頃は駅舎から線路を挟んで向かい側、4枚目だと左にある小高い丘は幹部用の住居がある高級住宅地だったそうです。現在その場所は立ち入り禁止区域となり、廃墟が残っているそう。他には高校が2校ありましたがそれらもすべて消え、読んで字のごとく『兵どもが夢の跡』となりました。
そこに街があるのに、人がいない。生きている感じがしない。
この駅や線路も周りがそうなったように、朽ち果てていくのでしょうか。
夕張駅
夕張駅。
新夕張はまだ生きている駅なのでノーカンとするならば、一番そのまま残っていた駅だと思います。
もちろん盗難対策?で駅名標や停目は回収されていましたが、寂れたラッセル用の停目は残されていました。
横断幕が今も尚掲げられています。
まるで3月31日からそのまま時が止まってしまったような。
駅前にセイコーマートがあります。車通りはそこそこ、セコマの駐車場もそこそこって感じでした。
道路標識に残る「ゆうばり駅前」の文字。これもいつまで残るんでしょうね。
もしかしたら、そこに駅があった証として残り続けるかも。
―おかえりなさい、夕張。
おわり
さて、何を突然にその気になって2日ぐらいでパパっと1本作ってしまったのか。
全部この動画が悪い。(悪くはない)
のんびりしたメロディ、エモい歌詞、藍い写真・動画。全部好き。
まさにカメラ片手にローカル線沿線をふらりと散歩しているような感覚にされ、急用急務の外出をせざるを得ないお気持ちにされてしまいました。同様の被害者を増やしたいので是非見ましょう。
残念ながらこのご時世なので実際に出ることは憚られますが。
このやり場のないフラストレーションを何か作ることへぶつけようと、ぶつける先を考えながら写真フォルダを見ていたらふと目に入った紅葉・北海道の写真。
機会があったら夕張支線でなにか作りたいな、と思い放送まで某にお借りしていたので手がそのままREAPERを開いていました。
廃線を取り上げた動画は多々ありますが、その路線を実際に走っている車両や駅名標が1枚も出てこない動画は初なんじゃないかと思ったり。あったらごめん。
素材に動画を使っていないのは、撮りに行けなかったのでないからといえばそうなんですけど『もう動かないから』を意識しています。なら写真も動かすなって話なんですがそれは置いておいて。
現地で感じた物悲しさのような気持ち。キュっと胸が締め付けられるような感覚。
「そこにあった何か」を、「想起」する。
「そこにあった何か」を、「あとになって思い起こす」。
「前にあった事」を、「あとになって思い起こす」。
そんな感覚で見てもらえたらいいのかなぁと思います。
生きているときに行けなかった後悔。手が届きそうだったのに届かなかった後悔。
全てが終わってから訪れたその場所は、いつか周りがそうなったように、朽ちていく運命を辿る。
その前の、もしかしたら始まりを記録をできたこと。
それをそのうち、「あんなこともあったな」と思い起こす時が来るのでしょう。
Recall - 想起。前にあった事を、あとになって思い起こすこと。
では