どうもです。
投稿していました。7月の話ですけど。しかも去年の。
札沼線の北海道医療大学〜新十津川間は1日に1往復しか列車が走っていません。それの素材集めということで、なかなか難儀しました。
難儀しながら作った動画の語るやつ、やっていきたいと思います。
石狩当別駅。
諦めの心で駅舎のみの演出も複数。
札幌から北海道医療大学までは電化されていて、普通に電車が入ってきます。こちらは学園都市線として宅地開発なんかが進んでいるようで、ちゃんと本数も確保されています。
ここまでが電化区間で、この先は非電化となります。駅を出た直ぐに病院への入口があり、駅直結の病院なのか病院直結の駅なのかで書き方を迷いました。Kitacaエリア内なので自動改札も設置されています。
流石に全駅で1日1往復の列車を撮ろうとなると何日かかるかわかったもんじゃないので、先述の通り諦めの心で駅舎のみの演出です。駅前通りにはここの主と思われるギラティナさんがいました。いやまぁヘビなんですけど。
コメントした人天才かな?
駅名標を撮ったつもりだったんですけど、裏側だったので駅名が見えませんでした。てへ
中小屋駅。
原曲として使用させていただいたBGM「やぶれたせかい」が流れるやぶれたせかいは、この世の裏側の世界とされています。
水たまりに反射して映りこんだ場所なんて、まさにその通りに見えません?というやつです。
月ヶ岡駅。
簡単な公衆トイレと自販機、駐車場なんかが設置されてる駅前ロータリー的なやつが印象的でした。駅は相変わらず駅舎もなければ改札もないただの棒線駅だったんですけど。
知来乙駅。
すごく特筆することが無い、北海道によくあるタイプの駅でした。
空が広いので雲が綺麗ですね。逆に言うと何も無いってことになるんですけど。
長閑な駅でした。
車窓です。
夏の空に緑が映えますね。え?今は冬?
ちょっと何言ってるか分からない...
交換設備のある大きな駅です。
終日係員配置駅ですが、改札業務は車内で行っていたので無く、出札業務をしていたと言ってもみどりの窓口ではなく常備券を売るだけの場所とどちらかと言えば列車交換するための係員と言った方が妥当な感じみたいですね。
逆さになったものを意識して撮っていたのでハンコ押したあとインク取りに使うメモ用紙なんかは格好の的でした。
踏切です。
何ヶ所かで撮った踏切の映像をこの辺でまとめて使いました。
スクショのカットは元中小屋から石狩金沢方に1つめの温泉道路踏切です。
どこかの踏切で列車をワンカットは欲しいと思っていた中、いい感じの踏切だったので撮りました。ウソです時間なかっただけです。
1日1往復だけだったので練習なんて出来るはずもなく、ジンバル持ち1発撮りでしたがそれっぽく撮れたのでセーフです。これミスったら同じ向きだと24時間待ちですからね。シャレにならん。
豊ヶ岡駅。
森の中にありました。いやマジで。
請願駅という地元の頼みで作られた駅ですが、平均乗車人員は多くても3人。2019年は1.4人。まぁこの本数だとそうなるわな。
街が設置した待合室に邪魔になれば捨てられるだろう駅名の書かれた看板を勝手に設置した人がいたり*1、地名は豊ヶ丘なのに国鉄の誤字で豊ヶ岡になっていたりと面白ポイントの多い駅でもあります。
似たような雰囲気の駅舎が何点か連続して並んでいるのが多いなぁと言った感じ。石狩金沢・元中小屋・中小屋、月ヶ岡・知来乙、みたいな。三角屋根に煙突が生えてるのがいかにも雪国らしいですね。
札的駅。ここで2本目を撮ります。ここに走っているというのが分かるようなカメラワークにしたかったんですが、踏切を使って同じようなカットにしても面白くないしなぁとか考えてしまって微妙な結果に。列車を撮りたかったので踏切下から普通に撮っても良かったかなぁとか。もうちょっと撮り鉄的なスポットに行ければよかったんですけどね。
隣の浦臼駅の近くにあったいい感じなお店。水溜まりもあっていい感じ。浦臼ワインってなんなんでしょう。美味しそう。
やたらと派手なデコトラが走ってた記憶があります。
その浦臼駅。昔はここ止まりの列車もあったとか。あからさまな空き地があったので、昔はもっと線路があったのかもしれません。
動画は駅舎とは反対側の道路から撮りました。
その駅舎はちゃんとした水洗トイレ付きでバス停の待合としての役割も果たしているのかもしれません。町の交通要所ですね。
鶴沼、於札内、南下徳富と続きます。
於札内は待合室に設置されていた駅名標が随分といい感じでした。それ以外はよく言えば長閑な所。悪くいえばなんもないって感じ。
下徳富駅。
駅前ロータリーに聳える木がただならぬ雰囲気を感じさせます。というかスペース無くて切り返し出来んやろ。
ベンチに松ぼっくりが座っていました。かわいらしいお客さんでしたが、次の汽車は明日まで来ませんよ。
こうして日が沈むように、この路線が廃止になる時が来るのでしょうか。
新十津川駅。ある意味因縁の地です。
なんせ1回起床事故で来損ねていますので。因縁を抱くのは自分に対してです。
スタンプを押す表現はあっても押される側視点の表現は無かったよな〜と思いながら撮ってました。思っていたよりいい感じになって満足。
1日1本、この駅にとっての始発かつ終発が10:00の石狩当別行きです。学園都市線電化前までは札幌まで直通していたらしいんですが、今やその影も無く。
他の駅は1往復なので上下合わせて2回列車が通りますが、ここは折り返し駅なので1回しか来ません。
そんな変な路線だからこそ、盛り上がっているのかも。
その看譚ソ繧ょ、悶&繧後※縺励∪縺?∪縺励◆縲
縺ェ繧薙○縺ィ縺」縺上↓縺ェ縺上↑繧翫∪縺励◆縺九i縲
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そろそろ現実に戻りましょうか。
【歓迎 ようこそ新十津川へ】
この看板が客を迎えることは、もう二度とありません。
とっくに廃線になりましたから。
松ぼっくりさんが待つ汽車は、もう来ません。
おわり
「知られていなければ、存在していないことと何ら変わりない。」
その線路には、1日に1往復しか列車が走りませんでした。
午前10時ちょうどにその駅を出る列車が、この駅にとっての始発であり終発。
「日本一終発列車の早い駅」なんて名誉なんだか不名誉なんだかよくわからない異名ですね。
しばらくずっとそんなだったので、これからもずっとそうなんだろうかなんて思っていた最中、始まりがあれば終わりがある法則はこの路線にも適応されてしまったようで。
4月17日にその最終列車が出た後、路線が廃線となったのは5月7日。本当であれば、ゴールデンウィークにさよならイベントをやって終わるつもりだったんだろうというのが目に見える廃止日付ですが、残念ながらその日列車が走ることはありませんでした。
廃線になっていないのに、列車が走らない路線。
生きながらにして死んでいるような状態。
元々からそうだったかもしれませんが。
夕張の時にも似たようなことを書きました。
今でこそネットなんかで調べれば何だったのかはすぐにわかるでしょうが、ネットもなければ『札沼線』というものがあったことすら知らない人がいきなりここへ来たら""駅のような何か""ということはわかっても""なんという駅だったのか""はわからないでしょう。
自分が初めて新十津川駅に訪れたのは、2019年の11月でした。その時はまだ現役で、とうの半日ほど前に終発が出たにもかかわらず明かりが付いており、1つしか時刻が書いていない時刻表を見たり、ホームに上がって来ない列車を待ってみたりなんかができました。
次に訪れたのが2020年7月上旬。この動画を作るために訪れた時です。
その時も同じような夕暮れだったのですが、明かりは付いていませんでした。
時刻表は外され、各所に「さようなら」の文字。ホームに続く階段には立入禁止の柵が設置されていました。歓迎の文字が客を迎えることは、もうできないのです。
その後、駅舎は2020年10月10日に閉鎖されました。
そして、本年度中に解体が決定しています。
もうあのスタンプを押すことも出来なければ、書き留められたお別れのメッセージの数々を見ることもできません。
新十津川駅は、新十津川町がこの跡地を使って観光・文化施設のネットワーク拠点を構築したりなど有用に活用する気のようですが、同じ町内でも下徳富駅と南下徳富駅は農地を寸断しているということで駅跡から線路跡まで全て水田に戻すそうです。
つまりそこに線路があったことさえわからなくなるということですね。
変わって月形町ではトロッコ化計画があるようで、計画の中では現状をそのまま残すといった案もあるようですから今後どうなるか楽しみです。
当別町は、JRから廃線跡地の譲渡を受けませんので、跡地の活用はされない見込みです。月形町、浦臼町、新十津川町は譲渡は受けますが月形町と浦臼町は活用方法は現在のところ未定、新十津川町は農地への転換の方針が決まっているそうです。
後のために残すのか、後のために変えるのか。
判断が変わってくる場所ですね。
原曲はポケットモンスタープラチナから「やぶれたせかい」。
このBGMが流れているやぶれたせかいと言う場所は、この世の裏側に存在する世界とされています。
詳しくはggって貰うか実際にプレイしてみてもらった方がわかりやすいと思いますが、この世とは違う世界の演出ということで捻れや無意味な加減速など、不気味とも言える編集をしました。
そこにいるかのようなカメラワークなんかは、この辺りから着想を得ています。
あたかも存在しているかのように撮るのも文字を書くのも結構難しい。半分妄想しないといけませんから。
全体的な流れとしては『想起、夕張。』のような廃線後の映像に現役時代の音声を組み合わせるタイプの動画ですが、札沼線廃止区間は夕張支線廃止後に訪れた際に感じた「時が止まっているような感じ」というよりは、シンプルに「寂れてしまった感じだな」というのが行ってみた所感でした。
町は生きていて、人もいるし、車も動いてるし、川を渡ったら函館本線があってそこには札幌/旭川行きの特急が1時間に1本は走ってる。そんな中で、いやそんな中だからこそ消えてしまった路線。
派手なイベントも進行形で世を騒がせている例のアレのせいで無くなり、廃止日も繰り上げに繰り上げを重ね、最後はどうやっても羽田から飛ぶのにも間に合わない時間に翌日を最後に廃止日まで全列車運休をプレスリリースするというJR北海道の判断。
当時の状況を鑑みると英断だったと言えるでしょうが、逆に前日にいきなり「じゃあ明日最後に実質廃線ね!」と言っても困らないのが現状だったというのはなんとも言えませんな。
1日1往復しか列車が来ない路線という鉄道として成り立っていないような状況を、開き直って集客する要素としていたのは良かったのではないでしょうか。コンテンツとしては面白いですからね。
ただそんな首の皮一枚繋がった状況なんて、赤字という重りには勝てずちぎれてしまいました。
ここに1日1往復しか列車が来ない駅があって、それがコ〇ナのせいで呆気なく廃線となった。というのは、鉄道ファンであれば知る機会があるかもしれません。
ですがそんな奇怪な趣味を持つ人間は、日本国人口1億数千万人のうちそう多くはありません。
今後産まれてくるであろう子供たちは、ここに鉄道が走っていたということを知らないまま一生を終えるかもしれません。もしかしたら、沿線に産まれたとしても、興味が無ければ知ることが無いかもしれません。
ですがここで起こっていることは数百年後、十数年後、はたまた数年後、日本各地で起こっても不思議では無いことだと考えています。
原因として霧がなくても、です。
知られていなければ、存在していないことと何ら変わりない。
最近ハマってしまった小説で書かれていた言葉です。
考えてみれば当たり前のこと。
ですが忘れてはいけないことだと思います。
発信する側は知られる努力をしないといけない。
受信する側は知る努力をしないといけない。
世の中には自分の知らないことが数多くあることでしょう。それが自分にとって存在するのかしないのかは、個人個人で違うのかもしれません。
僕はこの動画で、存在と消滅を同時に経験した路線を表現しようとしました。大変な途中下車シリーズという鉄道を素材とした音MADとして。音声と動画で違うことが出来る、鉄道PVとは違った下車の良さを活かして。伝わっていたらしてやったりです。
幸運にもその音MADを見ている電車好きでも無さそうな方々の目にも止まったようで、音MAD作者が選ぶ今年の10選2020において4票も頂いてしまいました。ありがとうございます。
数ある作品の中で10本だけ選ぶのって結構大変なので、その中の1つに選んでいただけただけでありがたい限りです。
記憶から消えるというのは、存在が消えることよりも寂しく悲しいものです。誰もが忘れ去ってしまったら、それはどう捉えても『無い』ことになります。
自分が忘れないために。欲を言えば、少しでも見てくれた人が知って、覚えてくれたら。
ここに1日1往復しか列車が来ない路線があったということを、忘れないようにしましょう。
最後になりましたが、動画を撮るのに協力してくれた3名の各位、ありがとうございました。
では