#ui_memo

ういめも

雑記 : 紙の切れ端の殴り書き

どうもです。

思いついたことを何も考えずに書き殴って、今思ってることをあとの自分が思い出せるようにするコーナーです。

マジで書き殴っただけなので支離滅裂だしそのうち記事ごと消えてるかもしれません。

 

 

 

 

 

それはなんの前触れもありませんでした。

 

ふと気になったのです。

 

自分がこのインターネットの世界に片足を突っ込んだ時のことが。

 

皆さんはTwitterというものをご存知でしょうか。2006年にサービスが開始された、140字で文字や画像を投稿できるアレです。

知ってるか。このブログを読んでる人は大体みんなそこから来てると思いますので。

 

自分はTwitterのアカウントを用途ごとに使い分けています。動画用、写真用、日頃のどうでもいいこと用...などです。

多いときでは見える場所で5つほど動かしていました。含みがある言い方してるのはそういう事なので察してな。

それをどれだけ長くても1年ぐらいに1回整理するようにしています。それはだいたいそれぐらいで自分のTwitterの使い方が変わってるなと実感するからです。

それを繰り返し、今は動画用の@_uiro__とどうでもいいことをツイートしては5分ぐらいで消す@529_Uiが動いています。

ゲーム用とかもあったんですけどやれる時間が無くなって疎遠になり、アカウント整理する時に消しちゃいました。もったないことしたなとは思ってます。

 

 

 

でも残るんですよね。ツイートって。

それは自分がしたツイートではなく周りの人、関わった人がしたツイート。

それを見てるとなんとなく見えてくるんです。消したアカウントで何をツイートしてたのかとか、その時何してたのかとかが。

 

例えばハンネで検索します。うるさいって言われてたらあぁキチツイとかで荒らしてたんだなとか爆撃がどうのとか言ってたらそういうことしてたんだなとか。今じゃ死語ですもんね。爆撃。

 

そういうのを見てると楽しそうだなって思う反面、今じゃ全く関わりがない、なんならFFですら無くなった人が自分の名前をツイートしてたりするのを見ると、なんとも言えない微妙な気持ちになってしまうんですよね。語彙力なくて適切な表現が見つからない。

別にアカウント整理する時に意図して外した訳では無い。でも気がついたら知らない人になっていた。

所謂リスクマネジメントみたいな感じで優秀と思っていたアカウントを変えて変えて生きるやり方のデメリットなのかな、と。

自分でも何言ったか覚えてない1万とか5万とかのツイートに潜むリスクを消すために失ったもの。その時の人間関係。アカウントとの関係。

こっちは懐かしい人だなと思う反面、向こうがこっちを覚えてる可能性はやっぱり低いなと思うわけです。こっちは消して消してですが、向こうからしたら消えた人間なわけですから。

 

ツイートが残ると書きました。

検索して出てくるのは、当たり前ですがツイートを公開してる人のツイートだけです。

そして公開アカウントと空リプで会話するのはほとんど公開アカウントでしょう。

そういうのがあるとあぁこの人生きてんだなって思いません?

この画面越しの奥に広がる世界で。

 

滅多にツイートしない動画用のアカウントとツイートしてもすぐに消すアカウントでは公開アカウント同士のやり取りなんて生まれません。生きてる感じもしません。

自分からはそういうのが消えてしまったんだな〜という寂しさ。要は老けたなって話です。

 

やり方を誰かが教えてくれるわけじゃない。周りを見て間違えて学んでいくしかない。真っ暗な中の綱渡り。踏み外したら奈落の底。そういう世界を生き抜くために身についた術は人それぞれ違うと思います。

自分はアカウントを移し替えることでリスクを減らすことを取りました。でもその選択が正しかったのかはわかりません。

 

 

 

自分の選んだことを後悔はしていませんが、悔やんではいます。

それは先に述べたような切れてしまった関係や無くなってしまった"生きてる感じ"がそうさせるんだと思います。

選択ひとつで残せたもの。残さなかった代わりに得たもの。

今の周りとの関係に不満があるわけではありません。ただ新しさが入ってくることも無いなと思うわけです。

果たして死んだ人間に興味のある突飛な人がいるのだろうか。

死ぬことを選んだのにそんなことを考えてしまう。変な話だと思いませんか。僕はそうだと思います。

 

殻に籠ったような生き方をし始めて3,4年。

真っ暗な中の綱渡りで空中バク転を繰り返していた時のような元気も無ければやり方も忘れてしまいました。

いや、無くしてしまったと言った方が適切かもしれません。

 

 

 

今出来るのは思い出すことだけ。思い出に耽けることだけ。

そして選ばなかった方を選べばいいどうなっていたのかを考え、悔やむだけなのです。

 

 

 

 

 

では。