#ui_memo

ういめも

雑記 : 閉じこめる

どうもです。

たまにはなんでもない話をしましょう。「たまに」が付けられるほどなんでもある記事を書いているわけでも無いのですが。

 

あるアニメを見ました。『色づく世界の明日から』というものです。2018年だって。今が2021年だから3年前のアニメですね。え、3年前?ほんまに?

 

あまりにも良すぎて見てなかった3年前の自分を責めに行く勢いで感想を羅列させても良いのですが、今だからこそ出てくる感想というのもあるのかもしれないなぁと。

後で見返した時に恥ずかしさのあまり消すんだろうなーとかあったりしますが、どこかで発散させた方がいい気もするので記事にして投げます。

内容のネタバレもあるので、出来れば全話見てから読んでください。dアニメストアとかにあります。

 

 

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動画 : さびれたせかい

どうもです。

 

 

 

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投稿していました。7月の話ですけど。しかも去年の。

札沼線北海道医療大学新十津川間は1日に1往復しか列車が走っていません。それの素材集めということで、なかなか難儀しました。

難儀しながら作った動画の語るやつ、やっていきたいと思います。

 

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雑記 : 【2020年度】好きな途中下車作品を勝手に語る

どうもです。

自分の作った動画を振り返るやつだと思った?残念!

 

aoto-tx1133.hatenablog.com

287mia.hateblo.jp

 

そういやこの『勝手に語る』シリーズをやりたいなぁと思いつつずっと放置していたんですが、ようやっと重い腰を上げてやっていこうと思います。

ってこれ3年前の記事ってマジ?ウソやろ?先月ぐらいだと思ってた…

 

ただ便乗するだけでも面白くないし、過去作品を取り上げ始めるとマ~ジで収集がつかなくなってしまうので、1作者1本まで、かつ2020年に投稿された動画に絞って勝手に語っていきたいと思います。それでも結構な数になってしまいましたが。

取り上げさせていただいた動画はマイリスでまとめておいたのでどうぞ。

 

 

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雑記 : 落ち葉を拾う - Fallen Leave"S"

鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて 浮きたる心 わが思はなくに───

(万葉集 巻四 /丹波大女娘子)

 

「鴨鳥が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮かぶような、そんな浮ついた心で"夢"を叶えたわけではないのです。」

 

 

 

どうもです。

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投稿してました。7月の話ですけど。

1年ぐらい前のダイヤ改正がある前ぐらいからやりたいねーって言ってた合作です。

音声はarenilf氏、動画はわてくしウイローが担当させていただきました。

動画説明文、天才だと思う。

 

タイミングよく晒しイベがあって、タイミングよくお題と一致している節があって、タイミングよく大変な途中下車13周年祭があったのでそれらに絡めて投稿しました。遅刻したけど。

 

毎度のごとく投稿した動画のこだわりポイントなんかをちまちまと語っていくやつ、やっていきたいとおもいます。

 

 

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旅記 : 『2年』

どうもです。

 

 

 

さて、突然ですが本題です。

 

2年前のことです。

初めて行く『北の大地』に、初めて知った時から行きたいと思っていた場所へ行きました。

 

 

 

uimemo.hatenablog.com

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P3044672

 

 

 

そう、こういうあたり一面海!な駅でございます。

 

 

 

 

 

Untitled

ここに再訪してきました。

 

 

 

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タイトル

たわいもない日常が、突然失われることがある。

それは良い変化でも、悪い変化でも有り得る事だ。

 

しかし、日常とは何なのであろうか。

日々起こりうる些細な変化を含めて日常というのであれば、全てがそれで片付いてしまうのではないか。

 

良い変化といえば、例えば新生活が始まったであるとか、ひとり暮らしを始めたであるとかであろうか。

 

悪い変化といえば、まさに今現実で起こっていることがそうではないか。見えない相手との戦争。対策によって封じられた移動。それによって潰えた趣味等。

 

ほんの少し前まで、1ヶ月に1回どこかへ行ってはお出かけしすぎだのと言っていた自分も、月一お出かけ生活始まって以来初の3ヶ月以上の外出自粛を強いられている。

 

この場所では、度々日常とは何たるかについて触れてきた。それはその地で流れているものだとか、普段の何気ない生活であるとか。

対して非日常という言葉も多く使ってきた。旅をしている自分自身に流れている時間などを指して使っていた。

 

 

 

しかし、何気ない生活にも大小様々な変化はある。

先に述べた通り、日々起こりうる些細な変化を含めて日常というのであれば、全てがそれで片付いてしまうのではないか。

 

変化の中にお出かけが入るのであれば、それは非日常ではなく日常なのではないか。

そんなことを考えてしまう自分がいる。

 

根拠はないが、どこか特別な感覚でいた旅をしている自分ですらもたわいもない日常だったのではないか。

 

こうしたものは、失ってから気付くのか。

悪い変化が起きなければ、変わらず非日常と言って旅をしていたのかもしれない。

 

だが今、過去の自分がそうしたように旅を出来ると思わない。

失ってしまった旅をしている自分という日常。

深いことを考えず、思い立ったが吉日を座右の銘とし玄関を開けていた日々。そんなたわいもない日常。

 

この数ヶ月で失ってしまったものは、取り返しのつかない、とても大きなものなのかもしれない。